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サステナビリティ

<ジェイコンビ>システムによる下水汚泥固形燃料化事業

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毎日の生活から出る下水汚泥が、地域で使うバイオマス燃料に生まれ変わる。

家庭のキッチンやトイレ、店舗や工場から出るさまざまな排水は、下水管を通って各自治体の下水処理場へと集まってきます。浄化後に堆積した下水汚泥は、その多くが焼却され、燃えかすの灰は、埋め立て処分されたりセメントの材料に再利用されたりしてきました。しかし、焼却時のCO2排出、埋め立て場の飽和化、セメント減産による受け入れ先の減少など、汚泥処理は喫緊の課題を抱えています。処理から、新たな再利用へ̶。私たちNSENGIは、脱水した汚泥から、石炭代替燃料をつくり出すプラントを実用化しました。燃料化技術の中でも唯一、石炭等の代替利用におけるCO2削減量が、製造におけるCO2排出量を上回る〈ジェイコンビ〉システムによる環境ビジネスモデルについて紹介しましょう。

下水汚泥=バイオマスである。しかも毎日確実に集積できる

1980年には約3割、2001年には約6割、そして現在は約8割。これは、日本国内の下水道の普及率です。現在全国には約2500の下水処理場があり、基準値以下にまで浄化した水を海や河川へ放流しています。下水道のインフラ整備が進み、海や河川がきれいになっていく分だけ、下水汚泥の発生量は増え続けているのです。

浄化の主な仕組みは、下水の中で自然に棲息している微生物が反応槽と呼ばれる設備の中で活性・増殖し、排水内の有機物を摂取・分解するというものです。つまり、下水汚泥は微生物をたっぷり含んだバイオマス(生物資源)です。この点にまずは着目しました。これまでにも私たちは、生ゴミなどの食品廃棄物や、みかんやサトウキビの残渣物から、エタノール燃料をつくる技術開発で実績を重ねています。下水汚泥を焼却処分するのではなく、燃料として再利用することができれば、CO2の排出も抑制できます。

同じバイオマスでも、たとえば森林から出る間伐材を原料とする場合、チップ化や運搬にコストがかかりますし、いつも潤沢に入手できるわけではありません。ところが下水汚泥は、地域の人が生活している限り、将来にわたって絶えることなく発生し、下水道を通って、処理場に集まり続けます。こうした〈集積性〉に優れている点も、事業の持続性という観点から、大きな強みになると私たちは考えました。

地域によって異なる特性にも独自のチューニングで対応

検討を重ねる中で、バイオマス燃料の先進国である欧州各国を視察した際、私たちはある技術に出会いました。脱水した汚泥をミキサー内の刃で粉砕しながら粒状にしたのち、乾燥ドラム内で乾かすことで、固形化する〈造粒乾燥方式〉というものです。ミキサーの中に核となる極小の粒を入れ、そこに汚泥を付着させる工程を3~4回繰り返すことで、一粒が1ミリから5ミリ程度の均一な固形燃料化物(ペレット)ができます。

構造がシンプルでサイズもコンパクトに収まるため、スイスではこの装置をトラックに積み込み、農村部を巡回して汚泥から固形肥料をつくっていました。その後、火力発電の石炭代替燃料として使われています。

脱水汚泥からの固形燃料化には、もう1つ、〈炭化方式〉という方法があります。これら2つの方式を比べてみると、貯蔵安定性や発熱量、製品収率の高さで勝り、なにより燃料化工程におけるCO2発生量と製品利用時のCO2の削減量を差し引きしたとき、トータルで削減になるのは〈造粒乾燥方式〉なのです。私たちはスイスの企業の持つこの技術を導入することにしました。

とはいえ、そのまま日本で使えるわけではありません。同じ国内でも地域や下水処理方法によって粘性や含水率といった汚泥の基本性状は異なります。それぞれの汚泥に合わせて、さまざまなチューニングを施さなければ、安定した粒状の燃料にはなりません。投入される脱水汚泥の水分や粘性の変化に応じて、最適な運転ポイント(温度やリサイクル量)を設定するまでさまざまな調整を繰り返しました。

そうした試行錯誤の末、2008年に完成したのが山形県新庄市の第一号機です。私たちはこの汚泥固形燃料化システムを〈ジェイコンビ〉と名付けました。

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O&Mまでの一貫事業モデルで知見蓄積と地域雇用も

日本で初めての方式とあって、稼働後も新たな課題に直面しました。固形燃料を製造するためには1日30トンの汚泥が必要ですが、新庄市では1日5トン程度しか出ません。そこで他の市町村からも汚泥を集約したところ、近隣エリアであっても含水率や汚泥性状はそれぞれ異なっていたのです。さらに季節によっても性状は変わるため、約1年にわたってチューニングをしながら操業の安定性を高めていきました。過去のデータが一切ない中で、エンジニアは日々起こる事象を正確に捉えては技術的な考察を繰り返し、知見や経験を蓄え一つ一つ解を見つけ、安定した燃料化技術を確立したのです。

こうした技術やノウハウも、プラントを納めて現場から離れてしまえば、蓄積していくことは難しくなります。そこで私たちは2011年、EPC(設計・調達・建設)に加え、O&M(操業・維持管理)までを担う事業として再スタートすることを決めました。日々の操業を通して得られるいくつもの知見、大小さまざまなトラブルの原因や回避策を、次のプロジェクトへと繋いで進化させていくためです。

そして、2015年と2017年にそれぞれ操業開始した〈北九州市日明浄化センター〉と〈広島県芦田川浄化センター〉においては、20年間にわたってO&Mを行い、燃料の利用先までの運搬も含めた、地域に根ざした事業モデルを構築しました。O&Mについては地元企業とパートナーシップを組むことで、オペレータやエンジニアを育成し、その地域の継続的な雇用創出も促しています。

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高濃度放射性物質を含んだ汚泥を短期間で処理できた理由

私たちのこの技術が、思わぬところで活かされる機会がありました。

東日本大震災の際の原発事故によって、福島市の下水処理場から出る汚泥が汚染されました。従来の焼却処分と異なり、放射性物質が揮発しない温度で処理する〈造粒乾燥方式〉ならば、汚染された有機分を系外に放出するリスクがありません。汚染された下水汚泥は中間貯蔵施設でコンテナに入れて、数十年間保管することが国から義務づけられていますが、造粒乾燥すれば体積は5分の1になり、含水率も10パーセント以下になるため腐敗する心配もありません。

さらに、スイスの例にあるように、コンパクトな装置〈造粒乾燥方式〉なら、工場で車載可能なコンテナサイズに製造・輸送し、短期間で設置することができます。私たちは同様の小型装置を製作し、福島へと持ち込みました。現地では仮設のテント内にこれを据え置き、毎日30トンの汚泥を2年半にわたり処理し続けました。放射性物質への対策は地域住民の生活にとって極めて重要な問題です。「安全に短期間で処理を終えてほしい」という、復興地域の思いにも配慮する形をとれたのではないかと考えています。

こうした実績を少しずつ積み上げ、2014年にはJ I S 規格を取得した〈下水汚泥固形燃料〉。広島県芦田川では初の設備屋外化に挑戦(下記コラム)した他、現在建設中の名古屋市の案件では汚泥処理能力を従来の3倍(200トン/日)にまで高めます。さらに顧客ニーズに合わせた開発・普及を進め、下水汚泥の有効利用と地球温暖化防止に貢献していくことが今後の目標です。

Engineer Voice

初の屋外型で、超えた2つの壁

エンジニアリングは一品一様で、金太郎アメのようにはいかない。4基目となる芦田川浄化センターでも、そのことをあらためて実感しました。

ここで私たちが取り組んだのは、初めてとなるプラント設備の屋外化です。汚泥の搬入設備こそ建屋内に設けていますが、造粒・乾燥を担うミキサーやドラム、燃焼炉などはすべて屋外に配置しています。周囲一帯は工業地域ということもあり、チャレンジする好機と捉えたわけですが、そこには2つの課題がありました。

1つ目は、臭気対策です。住宅地でないとはいえ、風に乗って臭いが拡散することは想定しなければなりません。まず、汚泥搬入時に入口が開放される建屋内は、換気装置で負圧状態に保つことで確実に屋外への漏れを防ぎ、屋上に設置した脱臭装置で光触媒反応を利用して臭いを分解しています。屋外の造粒乾燥設備においては、汚泥や乾燥ガスは設備系内を循環するのですが、建屋同様内部を負圧状態に保ち、集塵空気の臭いは燃焼炉で完全に燃焼処理しています。

2つ目は、熱対策です。冬場は外気温が下がり装置や配管内が結露し、その水分に汚泥が付着してしまう恐れがあるため、断熱の強化やヒータの設置を行いました。また、換気により系内の湿度を調整しています。逆に夏場は、直射日光により装置や配管の表面温度が上昇するため、汚泥やペレットが自己発熱しないよう、貯留ホッパに遮熱装置を追加しました。さらに、系内の酸素濃度を制御し発熱を抑制する安全対策を新たに導入しました。これらの対策により屋外化の弱点である熱ロスの増加によるCO2発生量の増加を抑制し、〈ジェイコンビ〉システムの最大の利点であるCO2削減効果も維持しています。

他にも汚泥性状変動への対応などさまざまな工夫やチューニングをギリギリまで施して、引き渡し前の性能試験に臨みました。下水処理場には汚泥の処理計画があり、固形燃料を利用する発電所や工場にも操業計画がありますから、双方の間に立つ私たちが巧くコントロールすることは必須です。最大処理能力である72トンの汚泥処理を含め、3日間連続での性能試験をクリアできたときは、エンジニアリングマネジャーとして共にやってきた人たちへの感謝の思いでいっぱいでした。

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環境・エネルギーセクター
田中寿史

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