「鋼×想=力」特集
ベテラン設計者が語る建築設計

2020年1月9日

ご安全に!

2019年11月某日、当社設計技術部のベテラン設計者と若手設計者による勉強会を開催しました。 時代とともに変わりゆく建築設計、次世代に残したいノウハウ、そして若手への期待など、じっくり語り合った勉強会の模様をレポートします。

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[語り手] 設計技術部 建築設計室 シニアマネジャー 砂川幸孝。入社以来44年間、建築設計一筋でキャリアを積む。 若き設計者たちから一目置かれ、憧れの存在であるベテラン設計者

海外のプラント建設で経験を積み鍛えられた。

編集部:砂川さんは、長年培われた豊富な知識と経験をもとに建築プロジェクトの設計に携わるとともに、若手社員の指導育成にも尽力されています。 まさに当社建築事業の歴史と共に設計畑を歩んでこられた訳ですが、これまでのご経歴において、印象に残っているプロジェクトをご紹介いただけますか。

砂川:私は昭和50年に新日鉄(現:日本製鉄)のエンジニアリング事業本部採用一期生として入社しまして、その年に発足したばかりのプロジェクト設計課に配属され、 設計者としての人生がスタートしました。今と大きく違うのは、当時は構造設計も意匠設計も設備設計も、全て設計担当者1人に任されていたことです。 大変でしたが、その分、様々な経験を積むことができ、得られたものは大きかったと思いますね。 初めに国内の総合建築設計を担当した後、海外住宅の設計に移り石油化学コンビナートやガスプラント建設用の宿舎の設計に携わりました。 対象は主に中東地域、設計・監理で派遣されたイラクは特に思いれの深い物件です。それが26歳のとき。まあ、一番きつかった思い出といったらこの仕事ですね。

編集部:26歳で海外。しかもイラクですか。具体的に大変だったことはどのようなことでしょうか。

砂川:現地に派遣されたのが私を含め4人という少数で、私は工事監理のキャンプを任され、住宅、娯楽施設、食堂、診療所とあらゆるものを作りました。 部材は日本であらかじめ加工したものを運んで現地で造るのです(220~230円/$の時代だからできた)。鉄骨、屋根・壁、内装品、什器備品などの調達から、部材を組み立てるためのエレクションマニュアルやパッキングリスト作りまで、全てやりました(笑)。現地スタッフとのやりとりは絵を描いてコミュニケーションをとりました。資材が行方不明になることもあって、現地調達して現場で加工したこともありましたね。日中は50度を超える暑さ。水を日に6リットルは飲むような毎日でした。

編集部:スケールが大きすぎて、我々の想像を超えてしまいます。

砂川:当時は、今のように構造設計、設備設計のように細かく担当が分かれていなかったんです。プロジェクト設計課は、総合工事と国内鉄骨工事、海外部隊(海外鉄骨・海外住宅)の3部門体制で、CADはまだなく、世の中は手書き設計図の時代でした。そんな中で、当社には大型コンピューターがあって、独自の構造計算認定プログラムやスタンパッケージの自動作図システムまであった。業界のトップを走っていましたよ。それでも今ほど簡単に情報が手に入りませんから、一つのことを調べるのにも苦労した大変な時代でした。

編集部:昔の経験でどんなことが役に立っていますか。

砂川:やはり、何でも自分でやらざるを得なかったことでしょうね。その中でも図面を自分で描くということは、非常にいい経験になりました。納まりディテールまで相当詳しくなって対応力がついた。今は役割分担の時代になりましたが、若手にもこういう経験は必要だと思いますね。

被災地釜石市の医療センターは社会貢献もできた思い出深いプロジェクト。

編集部:ご経歴に戻りますと、その後、プロジェクト設計課を経てシステム建築部門で技術管理・工事設計を担当、それから、環境建築設計、環境ソリューション事業センター、ジェイアール東日本建築設計事務所への出向を経て、現在の建築設計室に至るということで、多様な部門ですが一貫して産業建築に関わってこられました。特に思い入れのある案件というと、どんな案件でしょうか。

砂川:思い浮かぶのは、まず釜石市の「鵜住居地区医療センター」ですね。東日本大震災で被災した釜石市に当社が何か貢献できないかという持ちかけから始まりまして、ご要望のあった医療施設を、当社システム建築商品「スタンパッケージ」で建物寄贈の形で建設したのです。地震が起きたのが2011年3月11日。4月末に具体的計画がスタートし、連休を返上して設計図を完成させ、6月末には確認済証を受領、7月に着工して10月に竣工しましたからね。スタンパッケージの特長を活かして、超短工期で被災地の方々にご提供できて本当に良かったと思いました。

編集部:当時は職人さんが足りない、資機材が足りないという大変厳しい状況の中で完工されました。設計者としてのやりがいも大きかったことと思います。

砂川:そうですね。お客様に期待以上のものを提供して喜ばれることが、やはり設計者としてのやりがいだろうと思いますし、特に本件では社会貢献の意義も大きかった。こうした仕事に巡り会えるのも設計の良いところではないでしょうか。

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[聞き手]設計技術部の若手社員たち。 右から、福岡康平(建築設備室 設備設計担当・入社6年目)、高宏周(建築設計室 構造設計担当・入社5年目)、大藪陽(建築設計室 意匠設計担当・入社5年目)、渡辺恭宏(建築設計室 構造設計担当・入社3年目)

お客様の想いを引き出し、期待以上の解決策を提供できる設計者になろう。

聞き手:構造設計担当、入社5年目の高宏周です。砂川さんのようにお客様の期待を超えて要望に応えられる設計者になるための秘訣が知りたいです。

砂川:お客様の想いを引き出せる設計者になることだね。当り前のことをやっていたらダメで、お客様が悩んでいることを先取りする、聞き出すという作業が必要だと思う。「こういうことで悩んでいるのでは?」と投げ掛ける。相手の立場になって考えるというのが基本だね。そして、スピード感もすごく大事。

編集部:砂川さんが仕事で大事にしていることも、そのようなことになりますか?

砂川:そうですね。お客様がどんな課題を抱えているのかを考え、先取りして解決策をタイムリーに提供することを心がけていますね。

例えば、以前担当した電気自動車用のリチウムイオン電池の工場の案件では、プラントメーカーと機械設備に関する細かな取り合い調整まで当社が仕切りました。プラント架構において打合せ内容をその場でCAD図に反映し、複数社の共有データとしてまとめ上げた。非常にスピーディーだったとお客様に高く評価していただいた案件でしたね。

また、あるベーカリー工場の仕事は、年末近くに工場が火事で消失して建て替えないといけないということで、急きょ請け負った案件でした。パン製造ライン・菓子製造ライン・弁当製造ラインがあって、どうレイアウトするか予算との兼合いもあり中々決まらなくてね。時間がない中、何度も手直ししてA案からK案まで作って提案しましたね。

聞き手:構造設計担当、入社3年目の渡辺恭宏です。物流施設だと容積率とか法的な制約があるので取り合いがしやすいのですが、工場になると面積が取りにくいと思います。 そういった場合、設計上、どうやりくりしているのですか?

砂川:ここは無駄なスペースだなとか、清浄度を保つためにクリーンエリアから順に空気が流れるようにできないか?とか、考えれば疑問や改善点はいくらでも出てくる。お客様からレイアウトが出てきても、それが正解とは限らない。何のために我々建築屋がいるのかといったら、まだまだ工夫できることがあって、解決できるノウハウがあるからであってね。省けることは省く、疑問を持つ、突き詰めて考えることが大事だろうね。

聞き手:ありがとうございます。やはり砂川さんと現場で一緒に仕事がしたい。その経験とお知恵を少しでも学ばせていただきたいですね(渡辺)。

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建築は雑学、領域を広げることで解決力が身につく。

聞き手:入社5年目の大藪です。私は砂川さんと仕事する機会が多くありますが、砂川さんがいらっしゃるうちに、少しでも多く産業建築案件を一緒にやりたいです。知見、ノウハウ、技術をもっと学びたい。100歳までいて欲しいですね。

編集部:せっかくの機会です。砂川さんの仕事哲学といいますか、若手にこれだけは伝えたいというものをご教示ください。

砂川:僕は自分の経験から「建築は雑学」だと思っているんです。要はなんでも興味を持ちなさいと。機械設備や電気設備のことも、どんどん詳しくなったらいい。自分の領域を拡げていくと発想が豊かになって、色々な見方ができる。解決する力がついてくる。自分自身がそうだったから「雑学はアイディアの源だよ」と伝えたいですね。

聞き手:設備設計担当、入社6年目の福岡康平です。3年目に電子部品工場の案件で一緒に仕事をさせていただきました。砂川さんと打合せするなかで初めて気づくことが多く、電気設備の系統構成まで指摘があったことが印象的でした。また工場の動線計画や将来拡張を踏まえ、設備配置や受材について細かく指示があり、全体を俯瞰して建築をまとめ上げる姿に間近で接して驚きました。

前例は自分で作る。前例がないことはチャンスと思え。

砂川:楽にできるところで済ましていたら進歩はないわけなのでね。それ以上のことを追求してみなさい、違う見方があるかもしれないよということだね。教わったことが全て正解とは思わないことも大事だろうね。「前例がないことはチャンスと思え」。これも若手のみんなに話しておきたいこと。まあ、でも「前例があるんですか?」って僕に聞いてくる若手も多いよね?(笑) 失敗が怖いという気持ちもよく分かる。けれど、僕の答えは「確かにリスクはあるかもしれない、でも、前例は自分が作ればいい」ですよ。

編集部:かっこいい! そんな設計マン、憧れますね。雑学をどんどん身につけていくには、好奇心を持ち続けることも大事でしょうか?

砂川:でしょうね。実際、僕は好奇心旺盛なところが多分にあると思います。なんでも興味を持って試してみることが設計者としての可能性を拡げていく。自分の力になると思います。

編集部:これからの当社建築事業が目指すべき方向性について、どうお考えですか?

砂川:我々の強みは何か、我々がゼネコン業を行う意義は何か、を考えたときに、プラントやエネルギーなど多様な事業分野があること、そして日鉄グループというブランド力というところに行きつくのではないかと。その点では、例えばCM事業は一つの切り口として面白いかなと思っています。メーカーとして商品も含めてCM(コンストラクション・マネジメント)の役割を担うことができるのではないかとね。

編集部:ありがとうございます。そうした将来を背負っていく皆さんから、さらに質問をどうぞ。

図面を書いて、悩み、創意工夫していくことが成長につながる。

聞き手:若手は、自分が配属されたところで力を発揮するのに目一杯で余裕がなかったりします。どうしたら知識や経験を拡げていけるでしょうか(渡辺)。

砂川:繰り返しになるけれども、今の若手は図面を自分で書く機会が少ないんじゃないかな。時代の流れで仕方ない面はあるけれども、可能な限り描いて欲しいと思う。それによって納まりも覚えられる。

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聞き手:現在の仕事の流れだと1~2年目の若手は、プロジェクトの申請関係を担当することが多いですね。砂川さんがおっしゃるように、納まりが描けない人材にならないよう危機意識をもって取組みたいと思います(大藪)。

砂川:申請業務だけじゃなく、やはりディテール、スケッチ画、プランを描くことが大事だろうな。人に指示をするにしても設計者としての意思を伝えるには、自分で描かんと。海外の案件では、相模原の研究所で実物を作って予行演習までした。カーペットはどうやって切るか、クロスはどう糊付けするかとか。配管も全部組んでみたりしてね。

聞き手:そこまでやったのですか。まるでNASAの宇宙飛行士みたいだ。すごい! 砂川さんがこれからやってみたいことがあれば教えてください。

砂川:僕ほど色々な仕事をさせてもらって、ありとあらゆる用途の建物に携わった人間は他にいないかもしれない。非常に恵まれていたと思う。ただ、産業建築しかやってこなかったんで、何か新しいものをやってみたいという気持ちはあるね。

聞き手:わかりました! 今日の砂川さんのお話を伺って、様々な分野で経験を積むこと、興味を持って仕事の知識を増やしていくことで、自分の能力も上がっていくのだと学んで、今後の仕事のやり方も変えていきたいと思いました(高)。

砂川:そうだね。その方が、仕事がもっと楽しくなるよ。

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聞き手:入社2年目に担当した物流倉庫の仕事で砂川さんに助けていただきました。構造のことすら十分に理解できていないのに、意匠や設備の担当者との調整が必要で、どうしようと迷ってばかりでした。そんな時に「構造はここをみておけよ」とか、「設備と確認が必要だぞ」とか、細かくアドバイスをいただきました。お蔭様でプロジェクトが滞りなく進んでいきました。あの時、砂川さんの様な力を身につけたいと強く思いました。3年目になって見識も拡がってきたので、より複雑な納まりが必要になるようなプロジェクトにも携わりたいと思っています(渡辺)。

砂川:人から与えられたところでやっているだけではダメなんだよね。僕は物件で検討した事を、エクセル等で整理し自分の設計ツールとしてストックしていった。ちょっとした時間でそういうことをやっておくと、次の仕事が格段に早くなる。自分で創意工夫して悩んでみることが大事だね。その積み重ねで人は成長していくものだと思うよ。設計も営業も。

聞き手:そうですね。今日は体験談を含めて、設計者に何が必要か。どうやって経験を積み、自分の力としていったらいいのかについて、大変勉強になりました。砂川さんの背中を追いかけ、いつか追いつけるように頑張りたいですね(福岡)。

編集部:皆様、本日はお忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。

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