「鋼×想=力」特集
東日本大震災で被災、石巻工場の復興プロジェクト
〜山田水産(株)担当者様にインタビュー〜【後編】

2020年10月13日

ご安全に!

九州地方で、うなぎ加工卸売、水産物、餌料加工卸売を展開されている山田水産株式会社様。現在までに8棟の工場・事業所の建設において、当社のシステム建築商品『スタンパッケージ®』をご採用いただきました。

後編では、東日本大震災の際にいち早く工場を立て直し、地元雇用に動いた、山田水産様の石巻工場の復興プロジェクトについてご紹介します。被災後、わずか半年で工場再稼働を成し遂げた原動力とは--。常務取締役の上杉利幸様にお話を伺いました。

introduction

山田水産株式会社様は、1973年に大分県佐伯市で創業。豊かな自然と水源に恵まれた大分、宮崎、鹿児島を拠点に地域密着型の冷凍餌料、水産加工に取り組んできました。1997年には、地下伏流水が豊富な志布志市有明を養鰻場の地としてうなぎ事業をスタート。1999年には隣接地に鰻の加工場(有明事業所)を建設。翌年には投薬なしでの養殖に取り組み、「無投薬うなぎ」を商品化するに至りました。「鹿児島産無投薬うなぎ」は大手量販店のブランド商品に採用されるなど,量販店を中心に販路を拡大。『安心・安全・美味しい』のこだわりにより鰻製品の販売量は年々増加し,出荷量は全国トップクラスとなっています。

山田水産様WEBサイト https://yamadasuisan.com/

前編はこちらから


[語り手]左:上杉利幸様(山田水産株式会社 常務取締役)、右:岩田正幸(日鉄エンジニアリング/都市インフラセクター 営業本部 建築営業部 システム建築営業室 室長) ※以下、敬称略とさせていただきます

2009年、漁場に恵まれた宮城県石巻に進出

編集部:山田水産様には、1992年着工の垂水工場(鹿児島県)から、長きにわたり『スタンパッケージ®』をご愛用いただいております。2019年には、8つ目となる石巻第3冷凍庫(宮城県石巻市/保管量5,000t)が竣工しました。石巻での事業について教えてください。

上杉(山田水産):事業拡大を目的に、石巻に進出したのは2009年です。当時全国を視察し、優れた漁場に恵まれた石巻を新たな拠点としました。石巻とその隣の女川は、全国でも有数の漁獲量を誇る漁港でたくさんの魚が水揚げされています。

第1工場は2009年、第2工場は2013年に竣工。そして、事業開始から10年目の節目に、第3工場を建設しました。冷蔵庫と塩焼き用の生産ラインを整えた設備で主に焼き魚製品を手がけ、手軽に美味しい水産加工品を全国の家庭へお届けしています。

編集部:〝メードインジャパン〟の製品づくりにこだわってこられた山田水産様の事業に関われることは、当社としても非常にありがたく思っています。

さて、全国で水揚げ量3位を誇った石巻市ですが、2011年3月11日に発生した東日本大震災で、魚市場や水産加工団地も壊滅的な被害を受けました。山田水産様においては、操業したばかりの第1工場が被災されました。

岩田:その後、水産業の大手が石巻から撤退するなかで、山田水産様は、石巻に残り工場を再建する道を選ばれました。上杉さんは、被災後、すぐに現地に飛んだと聞いています。

上杉:ええ、震災の3日後には、現地へ飛び、施主(地元施工店/藤井産業)と一緒に、被災状況の調査を始めました。工場は津波の直撃を受けて2階の床まで浸水し、生産設備は全てダメになりました。乗用車が屋根に乗り上げ、玄関先には大型トラックが突っ込んでいるような状況でした。ただ、建物が崩れなかったのが幸いでした。避難した従業員は、全員助かりました。

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被災後8日で事業継続を決断、再開に向けて走り出す

岩田:被災地はどこも大変な状況にも関わらず、震災の8日後には、山田社長が事業継続を決断されたそうですね。よく決断されましたね。

上杉:地元企業では、建物だけでなく、オーナーも社員も被災しているような状況でした。一方、当社は、被害額は大きかったものの、事業基盤は九州にあります。社長は「動ける人材がいるのだから復旧は可能だ」と。さらに、工場を再開すれば、被災地の雇用にも貢献できる、漁業が再開した際の販売先にもなれると考えたのです。「もう一回やるぞ!」と、決断は早かったですね。決めたらすぐやるというのが社風ですから。3月中には、全施工業者が一同に集まり、再開に向けた打ち合わせを開始しました。

編集部:様々なご苦労があったのではないですか?

上杉:そうですね。まず、がれきの撤去作業から始めなければなりませんでした。実は、被災地には地域復興のチームが派遣されていたのですが、我々は「うちはうちでやれるから」と、一切頼らなかったのです。

石巻の工場は、日鉄エンジニアリングさんの協力会社である藤井産業さんが施工を担当されていました。現場所長の宮本さんはじめ、下請けの人たちが、すぐに動いてくれたおかげで、わずか1週間で、がれきやトラックの撤去作業、泥のかき出し等を行い、工場の玄関口までの道を作ることができました。4月1日からは、従業員を呼び寄せ、工場内の片付け作業に入りました。

編集部:藤井産業は、北関東や東北6県を地盤とする電設・資材・電気機商社で、『スタンパッケージ®』も長年扱ってきた企業です。地元企業だからこそ、動きも早かったのですね。

上杉:そうなんです。余震もあり、現場のスタッフには疲労感もありましたが、一丸となって復旧作業にあたることができました。『スタンパッケージ®』がもたらしたチームワークは、素晴らしかったと思います。

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倉庫が無事だったことは大きい、半年で工場が再稼働

岩田:ありがとうございます。『スタンパッケージ®』事業の大きな特徴として、当社は部材の生産・デリバリーに徹し、施工を行うのは地元の建設会社となっています。地場の施工店が元請けとなることにより、地元特有のニーズにもきめ細かく対応できるという利点があります。

上杉:ええ。おかげさまで、9月に再稼働という目標を立て、宣言通り9月1日に再稼働にこぎつけました。人と人のつながり、力を合わせることの大切さを、毎日肌身で感じた半年間でしたね。

編集部:震災後は、復旧工事が各地で重なり建設資材が足りなくなるということも起きていましたが、問題ありませんでしたか?

上杉:空調機や冷凍機の調達には苦労しました。ですが、いち早く復旧工事を始めたので、他社よりも素材の調達は楽だったと思います。あのとき決断が遅れていたら、コンパネも重機も手に入らなかったでしょう。

でも、1番のポイントは何かといったら、建物自体が壊れていなかったということだと思います。布基礎という基礎工法なら再稼働が可能だと、すぐに見込みが立ちました。『スタンパッケージ®』は、耐震性にも優れているんですね。

復興支援として国から出る補助金を元手に倍の施設を作った企業もあったようです。しかし、大きくすればそれだけ売り上げも必要。その後、倒産する企業も出たようです。

一方、我々は、同じ規模で再建計画を立てました。設計図もあるし、それを元に再建すれば工期も短くて済みます。補助金6億円を投じ、3つあった生産ラインを使用できる部分は改修し、破壊された部分は新規導入し、元通りに3ライン復旧しました。顧客も待っていてくれ、生産量は震災前を超えました。社長の読みは、間違っていませんでした。

岩田:そんなエピソードがあったとは、驚きました。

ピンチをチャンスに変えた、チーム力も支えになった

上杉:まあ、周囲が中止しよう、延期しようというときに、「やるぞ!」というのが、うちの流儀ですからね。社長の口癖は、「ピンチをチャンスに変えていこう、取り返せばいいじゃん」です。

編集部:藤井産業が元請けとなり、石巻では第1工場の再建から、第2、第3工場と『スタンパッケージ®』を採用していただけました。継続していただけるポイントは、どのようなところにあるのでしょうか?

上杉:全国どこにいても、協力会社がそろっているという安心感がありますよね。日本製鉄のグループ力、調達力、品質、技術力はもちろんですが、早い工期に機動力もある、さらにアフターフォローもこまめに対応していただける。冷蔵庫を備えた工場では、完成後も、結露問題など色々な支障が出てくるものですから、いつも迅速に対応していただいて助かっています。信頼関係ができているということだと思いますね。

岩田:ありがとうございます。早期の復旧、工場稼働も感動的でしたが、地元の活性化への貢献、従業員の雇用の確保など、社員を大切にする山田水産さんの方針に大変感銘を受けました。今後とも、このような関係を我々も大切にしていきたいと思っています。

上杉:震災時には、御社とともにチーム・藤井産業の団結力に助けられました。これも出会い、縁ですね。引き続きよろしくお願いいたします。

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