「鋼×想=力」特集
システム建築50周年記念〜スタンパッケージの歩み〜

2023年4月4日

「鋼×想=力」特集

システム建築50周年記念〜スタンパッケージの歩み〜

ご安全に!

当社システム建築商品「スタンパッケージ」が、販売開始から50周年を迎えました。この節目にあたり、システム建築事業の歴史の振り返りと今後の展望について、ゲストをお迎えして実施した座談会の様子をお届けします。

IMG_3417 2.JPG

左から、日鉄エンジニアリング株式会社 都市インフラセクター 小崎賢志(システム建築営業室 室長)

ゲスト・岩崎賢一氏(日東工営株式会社 営業推進室 室長/当社OB)

※本インタビューは2023年2月21日に行われたものです

【岩崎氏プロフィール】

岩崎賢一氏:1977年新日本製鐵入社、一貫してシステム建築の業務(設計・開発・営業)に従事。2021年から現職。現在もシステム建築に携わる。

システム建築商品を日本で初めて独自開発

編集部:『スタンパッケージ』は、1972年に新日本製鉄(当時)の建築商品として販売を開始しました。以降、数度の改善改良を重ね、現在は「スタンパッケージR」として工場・物流施設・事務所などの産業建築向けを中心にご採用いただいています。この50年間で累計1万棟以上の実績があります。

その歴史を振り返る前に、まずは「システム建築」について、小崎さん、解説いただけますでしょうか。

小崎賢志(システム建築営業室 室長):はい。システム建築を端的にいいますと、基礎・鉄骨・外装等の建物の構成部材と建築プロセス(営業~設計~調達・製造~施工)を徹底的に『標準化』『省力化』することで、短工期・高品質・低コストを実現する建築手法です。当社はシステム建築を日本で初めて自社開発しました。

編集部:スタンパッケージは、50年の歴史の中で数度のバージョンアップを重ねてきていますが、そもそもの始まりからご説明いただけますか。

小崎:当時の八幡製鐵・富士製鐵(現:日本製鉄)が、1964年に鉄骨プレファブ化の一環として「設計・加工エンジニアリング」付きの鉄骨部材『スタンフレーム』の開発に着手したのを契機に、1969年頃からは、スタンフレームと外装材・建具などを組み合わせ、建築全体をプレファブ化する新たな建築手法の開発に着手しました。ちょうど旧・新日鉄が誕生する時期で、それは日本独自のシステム建築商品の開発への挑戦でもありました。こうした経緯を経て、1972年に『スタンパッケージ』が誕生し販売開始に至りました。

編集部:既にシステム建築の考え方や技術はアメリカで確立されていましたが、その技術を単に導入するのではなく、オリジナル技術で日本向けの商品開発を目指したということですね。

小崎:その通りです。スタンパッケージの屋根・外壁などの外装材には新日鉄グループの最新建材を、照明器具等は松下電工様とコラボした製品を採用しました。部材を標準化することで、安定品質の確保と経済性を両立させ、画期的な建築商品として一気に市場に浸透していったのです。

また、当時最先端のコンピューターシステムを使った構造計算やプレファブリケーションを取り入れるなど、設計から製造まで一連のプロセスをシステム化した先進的な建築手法でもあり、発売翌年の1973年には38万㎡の販売実績を記録しました。

それから今日に至るまで、スタンパッケージは時代環境に合わせて進化を遂げてきました。1972年からのコンセプトは「パッケージとユニット建築」、1986年からは「デザイン・ファッション」、1991年からは「省施工・高性能」、1998年からは「ローコスト」、2012年からは「再構築」をキーワードに事業を遂行してまいりました。

キャプチャ3.JPG

岩崎賢一(日東工営 営業推進室 室長):こうして振り返ると、時代ごとの特長というものが浮き彫りになり、非常に興味深いものがありますね。

1972年〜「スタンオフィス」「スタンショップ」などのユニット商品を投入

編集部:ここからは時代を区切ってご紹介いただきたいと思います。岩崎さんには、当時の事業状況や市場の反応などもお話しいただきます。

小崎:まず1972年〜1985年は、「パッケージングとユニット建築」の時代でした。当時の日本経済が石油危機や円高不況を乗り切り安定推移していた中で、「スタンオフィス」「スタンショップ」「スタンバンク」「スタンイベント」など時代ニーズを捉えた特定用途向けのユニット建築商品をタイムリーに開発・投入しました。児童増加に対応した仮設校舎「スタンスクール」を足掛かりに公共案件も多数受注するなど、当社システム建築の認知度は飛躍的に向上していきました。

画像⑫.JPG

編集部:岩崎さん、この時代に受注の決め手となったポイントは、やはり短工期や低コストだったでしょうか。

岩崎:そうだと思います。特に「スタンオフィス・スタンスクール」は、庁舎や校舎といった用途ですので、年度内の予算執行のために営業は夏の1ヵ月間に集中して行い、翌年の3月までに受注するというスケジュール感で動いていました。

当時、関東地区のスタンオフィス営業部隊は、5人程のチームでしたが、各市町村の建築課、教育委員会などに地元の施工店さんと一緒に全員で(汗まみれになりながら)営業して回りました。埼玉県上尾市、坂戸市、北本市、千葉県木更津市、浦安市、神奈川県相模原市などの案件が特に記憶に残っていますし、浦安市では市役所第2庁舎に大量のスタンオフィスが採用されました。

こうしたユニット建築の先駆けとなったのが、「スタンハイム」という住宅向けの工業化商品です。『未来の街づくり』という斬新なコンセプトで先端技術を駆使した商品で、企業の社宅などに採用されました。

画像④.jpg

1986年〜 好景気を背景にV3投入、デザイン性・経済性が飛躍的に向上

編集部:続いて1986年からはデザイン重視の時代がやってきます。

小崎:後のバブル景気に繋がる好景気の波とともに新しい価値観のファッションや名建築が次々と生まれたこの時代、当社は1986年に「スタンパッケージV3」を投入します。この時期の状況を岩崎さん教えていただけますか?

画像⑤.png

ファッショナブル建築をキーワードに縦窓を採用し、バーチカルラインを強調。屋根材にガルバリウム鋼板を採用するなど高品質を打ち出した

岩崎:私は当時、設計を担当していましたが、「スタンパッケージV3」は圧倒的にデザインが際立っていて、最大の特長である「縦窓」は当時世の中になかったデザインでした。縦の窓が1本に繋がった梯子状のコンポーネント部材になっており、現場取付も容易で、正にシステム建築の特長を活かしつつ、高い意匠性のある画期的商品として爆発的に売れました。

編集部:この時期から在来工法との差別化がより意識されたのでしょうか?

岩崎:そうですね。当時の開発チームは在来建築に打ち勝つ商品開発を目指していました。新日鉄グループの優れた建材メーカーとの共同開発から商品化につなげたということも好評を博した要因であったと思いますね。

1991年~ 新部材・新工法が生まれたV4時代、「パックF」で爆発的売上を記録

IMG_3399 2 のコピー.jpg小崎:続いて1991年に「スタンパッケージV4」をリリースし、「省施工・高性能」の時代へと入っていきます。この時期は、東京都庁や大阪梅田のスカイビル空中庭園、フジテレビなどランドマークとなる建築物が多く建設された時代。建築需要が旺盛になるとともに人手不足が深刻していた中、省力施工のシステム建築の需要が大きく拡大していきました。

編集部:基礎部材「パックF」、鉄骨部材「SPフレーム」をはじめ、数多くの新部材・新工法を開発しましたね。


小崎:はい、新部材の開発により、スタンパッケージV4は在来建築との明確な差別化を実現した商品でした。この時期、岩崎さんは開発を担当されていましたが、何か印象に残っているエピソードはありますか。

岩崎:私が開発に関わったのは実質2年ぐらいでしたが、パックFという現在でも主要部材の円形基礎を担当しました。初めての採用現場では施工指導も行いました。施工店さんに販売していただく上で、「V3(従来商品)や在来工法とどう違うのか」という点を明確にする必要がありましたから、資料やデータを取りまとめ「見える化」するのも私の仕事でした。「丸い基礎なんて見たこともない」ということで、それだけで営業的にも非常に盛り上がりました。

小崎:スペック的なところでは、「スタンパッケージV4」は在来建築に対して工期1/3短縮、建築コスト10%低減を実現し、エコノミー・プラン、省エネ・プラン、エクセル・プランという3つのバリエーションを設定しました。また、日経新聞に広告を掲載するなど広告宣伝活動にも注力し販路を拡大。過去最高の売上を達成しスタンパッケージの最盛期といえる時代でした。

画像⑥.png

右:受注拡大に貢献した日経新聞の広告掲載。毎回多数の引合が寄せられた。

岩崎:1994年、当時の富山営業所へ初めてのSP営業担当として転勤しましたが、スタンパッケージV4の投入により、新規案件の引合が次々に来るのでうれしい悲鳴を上げていましたね。

1998年~ バブル崩壊、コスト追求のV5投入

編集部:この後、1990年代中頃にバブルが崩壊しデフレが始まります。建設市場の急激な冷え込みとともに、スタンパッケージの勢いは減速、在来工法との激しい価格競争に巻き込まれ『コスト追求の時代』に入っていきました。

小崎:システム建築商品の対応としては、市場ニーズを踏まえ、1998年に従来比20%以上のコスダウンを実現した「スタンパッケージV5」を投入します。しかし、在来工法の値下がりがそれ以上でダンピング受注も横行したため、大変に厳しい戦いを強いられました。そうした中で、当時開発した回転圧入鋼管杭(商品名パックS)は、その後「NSエコパイル」と改称して杭単体の競争力ある事業として独立しました。

画像⑦.png

「スタンパッケージV5」は、屋根システム「SP ルーフィングU」、溶接不要の薄板鉄骨システム「SPフレームZ」などを新開発。『軽い・薄い・低価格』の追求によるコストダウンを目指した

編集部:バブル崩壊後の厳しい時代が続いたのですね。

岩崎:はい、施工店さんに販売いただくのに非常に苦労したなあという思いがありますね。そこで全国の販売組織であるSB会(スタンビルディング会)の運営に一層注力したり、営業ツールの充実等に取組みました。

小崎:営業支援(概略設計)システムを一新し「NS VENUS」をリリースしたのもこの頃です。営業担当者が簡単に使える仕様に改良し、お客様への提案スピードが格段に向上しました。

2012年~ 新商品「スタンパッケージR」、物流施設向け「NSスタンロジ」の誕生

小崎: 2012年以降はスタンパッケージの再構築・新領域の時代と言えます。2012年にスタンパッケージV5以来の新商品として「スタンパッケージR」を開発投入しました。

新商品のポイントとして、独自の新鉄骨フレーム「SPウェーブフレーム」や基礎部材「ダブルパックF」があげられます。この「スタンパッケージR」の投入効果で販売実績が回復しました。

小崎:またこの時期は、低層物流施設向けの新商品「NSスタンロジ」の開発投入(2016年)も大きなトピックですね。『鋼重量15%減』『全体工期1ヵ月短縮』『建設費約10%削減』を実現した画期的な商品として、お客様にご好評をいただいております。

岩崎:「NSスタンロジ」で思い出深いのが北陸(石川県)での案件です。先行する競合会社との一騎打ちを制して受注でき「NSスタンロジ」の競争力を証明できたと同時に、お客様にも非常に喜ばれた案件でした。

繧ケ繧ソ繝ウ繝代ャ繧ア繝シ繧クR_2016.04謾ケ險・21024_1.jpg

災害復興支援にも活用されてきたスタンパッケージ

編集部:当社システム建築は、その長い歴史の中で、災害復興支援にも活用されてきました。過去の代表的な事例をご紹介いただけますか。

岩崎:1993年7月に発生した北海道南西沖地震で校舎が全壊した奥尻島の小学校に、仮設校舎として新日鉄と全国スタンビルディング連合会から「スタンスクール」を寄贈しました。北海道の厳しい冬でも耐えられるよう構造材を補強し、断熱材を埋め込んだ特注品でした。

編集部:地震発生後、スピーディな対応で納入され、非常に喜ばれたそうですね。

岩崎:そうですね。現地を視察したのが地震発生から1ヵ月後。青函フェリーで北海道に渡り、陸路を進み、再び奥尻島までフェリーで駆け抜けたという行程でしたね。とにかく早期の校舎再建を命題にプロジェクトがスタートしたのですが、発災2ヵ月後の9月に校舎をご提供することができ、学校側からは非常に喜ばれ感謝状をいただきました。当初の役割を終えた現在でも敷地内にちゃんと建って倉庫として活用いただいているようで嬉しいですね。

編集部:一方、1995年の阪神淡路大震災においてもシステム建築が活躍しました。被災された中小企業様向けに、長屋型の仮設賃貸工場をスタンパッケージで10棟建設したのでした。

小崎:本件はシステム建築協会所属の7社(当時)によるJV工事でした。JV全体で合計39棟建設されました。こちらの建物も数年で役目を終える予定でしたが、現在も使われているんですね。この事例もまた、スタンパッケージの品質の高さが図らずも証明されたものと思います。

編集部:仮設工場の予定だったのが、そのまま30年近くも使われ続けているというのは、本当に素晴らしいですね。

小崎: 2011年の東日本大震災では、当社とも縁の深い釜石市に診療所を建設しました。3月に市から要請を受け、わずか7ヵ月後には診療再開と、こちらもスタンパッケージの『短工期』メリットが発揮されました。システム建築の強みを最大限に活かして社会に貢献できていることは私たちの誇りでもあります。

画像⑧.png

上段:奥尻島の小学校に寄贈された仮設校舎(スタンスクール)

下段左から:神戸市 仮設賃貸工場、釜石市 診療所(いずれもスタンパッケージ)

50年前のスタンパッケージが現役で活躍している

編集部:ここまでスタンパッケージの50年の歴史・歩みを振り返ってきましたが、改めてどんな感想をお持ちになりましたか?

岩崎:この工場の写真をご紹介したいのですが・・。これは50年前に当社(日東工営)がスタンパッケージで施工した第1号物件なんです。感慨深いですね。建屋自体は今も外壁塗装などの改修を行いながら問題なく使われており、スタンパッケージの高性能を証明する一例だと思います。

画像⑩.pngスタンパッケージ第1号案件

また、2011年の東日本大震災においては、不幸にも被災された工場がたくさんあった訳ですが、スタンパッケージをご採用いただいた工場は損壊せず、一定の復旧工事を経て今も稼働しています。確かな技術力に裏打ちされたスタンパッケージで、耐久性に優れた建物を提供してお客様企業の発展に貢献できたことは、私の誇りとしてお伝えしたいですね。

山田水産_石巻工場写真.jpg

山田水産(株)様の石巻工場。東日本大震災のわずか半年で工場再稼働を成し遂げられ、地元雇用にも貢献されました。

【参考記事】

「鋼×想=力」特集食品工場・事務所8棟に『スタンパッケージ®』【前編】山田水産様インタビュー | 日鉄エンジニアリング株式会社 総合建築サイト (nipponsteel.com)

「鋼×想=力」特集東日本大震災で被災、石巻工場の復興プロジェクト〜山田水産(株)担当者様にインタビュー〜【後編】 | 日鉄エンジニアリング株式会社 総合建築サイト (nipponsteel.com)

小崎:ご紹介してきました通り、画期的な建築手法として誕生したスタンパッケージは、それぞれの時代ニーズに合わせて柔軟に進化を遂げてきました。苦しい時代もありましたが、その都度、新商品開発や事業手法の工夫等で乗り越えてきました。これからも当社が誇る「時代を切り拓くマインド」を大切に、次の50年へと引き継いでいきたいですね。

システム建築(スタンパッケージ)が目指す未来

編集部:2023年からスタンパッケージは新たなステージに踏み出します。すなわち新商品「スタンパッケージC3」の投入ですが、これからのシステム建築のあるべき姿、目指す未来についてお聞かせください。


小崎:当社システム建築(スタンパッケージ)は、施工店の皆様と力を合わせて、お客様に高品質・短工期・経済的価格の建物を提供し、信頼を得てきました。これからもその歩みを止めることなく、次の50年を見据えて、弛まぬ商品力向上と、持続的な付加価値提供が必要不可欠と考えています。

ご承知の通り、建設業界は人材不足・高齢化、省力化・環境対策など多くの課題を抱えています。そうした中で今回投入する「スタンパッケージC3」は、「利便性(コンビニエンス)」「コストメリット」「脱炭素(カーボンニュートラル)」で上記課題の解決に資する次世代型のシステム建築商品です。お客様に幅広くご活用いただくべく社内スタッフを一層充実させて認知活動を含む各種施策に取り組んでまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようどうぞよろしくお願いします。

画像⑪.png

岩崎:システム建築というと簡単な建物というイメージがあるかもしれませんが、お客様のご要望を丁寧に伺って、一つ一つ誠実に作り込んでいるんですね。私は日鉄エンジニアリングを退職しましたが、改めて日鉄エンジは誠実で真面目な企業だと評価しています。

社員は非常に粘り強く、逃げない・諦めない精神があります。だからこそ、魂の入ったシステム建築になり得るのです。「スタンパッケージ」は建築生産プロセスを標準化・省力化しつつ、お客様の多様な想いをカタチにする建築商品です。安心してご相談していただけたらうれしく思います。

編集部:本日は貴重なお話をありがとうございました。

Page Top